意志田 友喜 < ISHIDA YUUKI >
八丈島出身、15歳から東京の高校に入学し下宿生活を始める。
野球選手になるのを夢見て学生時代からプロ野球選手を目指し、入団テストの年齢制限を超えて、
30歳まで挑戦し続けるもうまくいかず、その後、断念し、独立して、ビジネスを起こすことを決意。
30代で独立、経済的自由を手に入れる。
潜在意識の活用と勉強に多くの時間とお金をかけるにつれて、大きな成果が出るようになる。
八丈島出身、15歳から東京の高校に入学し下宿生活を始める。
野球選手になるのを夢見て学生時代からプロ野球選手を目指し、入団テストの年齢制限を超えて、
30歳まで挑戦し続けるもうまくいかず、その後、断念し、独立して、ビジネスを起こすことを決意。
30代で独立、経済的自由を手に入れる。
潜在意識の活用と勉強に多くの時間とお金をかけるにつれて、大きな成果が出るようになる。
小、中、高と野球が好きで、野球のことばかり考えていました。
小さい頃はのびのびと野球少年として育ちました。
小学高学年からプロ野球選手を目指して、週に一回の少年野球チームの練習と
夕方は親にノックをしてもらい
巨人の星の星飛雄馬に憧れて小学生から鉄アレイでトレーニングをしたり、腕立て伏せをしたり、
マラソンをしたりして足腰を鍛えていました。
大学では強い私立で野球だけやって、将来はプロ野球選手になりたいと思っていましたが、勉強が苦手で4浪もしてしまいました。
その時は光の見えない暗い長いトンネルに入ってしまったような心境で、このまま自分はどうなってしまうのだろうと思っていました。
2浪中は骨折、深爪の手術と勉強が手につく状況ではなく、どこに遊びに行くわけでもなく、4畳半の部屋で先の見えない、前進できないもどかしさに悶々としていて、欝っぽい状態でした。
それでも4浪をなんとか乗り越えて、父親も挫折せずよく乗り越えたといってもらい、自分もこれ以上苦しいことはないと思い、何でも乗り越えていけると思っていました。
ところが大学で野球部に入るはずが、野球部は一般性を募集していないとのことが後でわかり、寮まで言って、マネージャーから断られ、入れなかったので、何のために4浪までしたのかと思うと涙が出ました。
それでも気を取り直し、とりあえず、せっかく入ったのだから、何か野球をやろうと思い、準硬式野球部に入りました。
2年やりましたが、こんなはずじゃなかったと思い、一旦もう野球はやめるつもりで準硬式野球部やめました。
一度は野球を諦めようと思ったのですが、諦めきれず、3年からアルバイトもはじめ、そのお金でジムに通い始め、トレーニングを積みながら、大学卒業後も内定を蹴って、コンビニでバイトを続けながら、30歳までプロテストを受けたりしていました。
チームに所属していたわけはなく、一人で野球はできるわけがないですし、トレーニングのしすぎでケガばかりして当然うまくいきませんでした。
もう野球はダメだと感じていたので、このままではいけないと思い、30代で独立して経済的自由を手に入れ、夢を持ち続けられる人生を手に入れるために、いろいろなビジネスにチャレンジしました。
あることがきっかけで精神的にまいって、コンビニをやめ、築地で働き始めました。
築地も劣悪な環境で、精神的にも立ち直ってなかったので、入ってすぐにやめたいという気持ちに駆られましたが、ここで負けては繰り返してしまうと思い、3年は辛抱しようと決めました。
3年が過ぎ、精神的にも立ち直った頃、ビジネスもうまくいき始め、独立して、経済的自由を手に入れいることができました。
それから、14年間がたちましたが、自己投資の大事さを以前のビジネスの成功者から聞いていたので、
多くのセミナーに通い、教材を買ったりして、さまざまなこと学んできました。
学んだことをセミナー講師として、分かち合い、多くの人の夢の実現と自分らしい人生を手に入れるお手伝いをしたいと思っています。
そして、世の中の多くの人が夢が持て、より幸せで豊かになり、平和で争いのない社会づくりに貢献していきます。